俺の留学 【私の海外留学】

アメリカに語学留学しました。

会社の推薦を得て、短期3か月のプログラム。場所はコロラド州ボールダー。有森裕子など、長距離系のアスリートが高地トレーニングを行う場所として知られていました。 コロラド大学の付属機関で勉強しました。寮が二つあって、私が入ったのは日本人が一人だけ。これが苦労もし、役にも立ったことです。周りはエジプト、UAE、メキシコ、グアテマラなど、まったく日本語も、英語もまともに通じない。しかし、それでも互いに宿題を教えあったり、食事を共にしたりと、生活を通じてコミュニケーションを覚えましたね。 帰国時はグアテマラ人がホームパーティーを開いてくれました。いい思い出です。

カナダに語学留学しました。

初めの1ヵ月半くらいはカナディアンイタリアンの夫婦+女の子2人のお宅にホ-ムステイをしその後 シェアハウスで生活しました。シェアハウスは駅から徒歩1分ぐらいのとても便利で室内もとても清潔で家賃もリ-ズナブルで良かったのですが、オ-ナ-が毎日やってきて(彼は別の場所に住んでました)シェアしている人たちが仲良くしてないかCHECKしにくるんです。たぶん盗聴もしていたと思います。 なのでそこは1ケ月で退去。友達と2ベットル-ムをシェアし快適に暮らしました。 お金もないのでなるべくコストは抑えたいし、家探しは意外と大変でした。 留学して良かったことは、言葉を学ぶ事からたくさんの多国籍の友人ができたことです。 私にとってこれほど価値のある収穫はありませんでした。

オーストラリアのカナナラという町に留学しました。

子供の頃から海外に住んでみたいという夢があったので、思い切って行きました。 ワーキングホリデービザを取得して留学したので、滞在中は農作業をしながらその家に居候するという形で何家族かのホストファミリーと転々としました。 貯金があまりないまま留学してしまったので、何をするにもお金の心配があったことが大変でした。でも、いかにお金を使わずに楽しむかを考えて生活していたので、経済的に恵まれた留学では体験できないようなことをたくさんできたのでよかったです。

私の通っていた大学の学部は

半年間アメリカに留学するのが必修でした。 私が留学したのはアメリカのオレゴン州、オレゴン州立大学でした。 住んでいたのは学生寮で、現地の女の子と2人部屋でした。 まだ語学力が足りなかったため毎日身振り手振りでの会話となり、一番苦手だったのが 留守番電話でした。 ルームメイトから「留守電があったわよ」と言われ、聞いてみたところ、何度聞いても 内容が分からず、本当に困った記憶があります。 授業は日本のように受け身ではなく、ガンガン自分から発表していく雰囲気でした。 留学は、やる気があれば、とても楽しいと思います。

私はバリ島、

ヌサドゥアにマッサージ留学に行きました。日本と違い高いビルがあまりないのでとても空がひろく、緑が多く沖縄のような感じで行ったことのあるような安心感がありました。親日家の方が多く、カタコトですが日本語も話せる方も多かったので過ごしやすかったです。ホンダ!やナルト!と声をかけられる事が多かったです。割と過ごしやすかったのですがやはり衛生面はひどく、むし熱いのでハエがよく飛んでおり、ハエの中で普通に食事していたり、一番びっくりしたのはトイレにペーパーがなく部屋の中にバケツに水が張ったものがおいてあり、その水を使い左手で汚れた部分を洗う というものが衝撃でした。ですので食事するときは右手で食べるようでした。私は聞いただけで使えない!と思いトイレは極力我慢し、ホテルに戻ってからするようにしていました。(ホテルは海外が多いので一般的なトイレです)衛生面を除けばとても信じられないくらいの物価の安さと人の暖かさに感動する国でした。リタイヤされた日本人がバリに永住される方が多いのも納得です。

英語を学ぶため、

アイルランドへ語学留学しました。当初ホームステイで3ヶ月の滞在を予定していましたが、3ヶ月では全く英語が身に付いたという感覚はなく、滞在の延期を決意。シェアハウスに移り、さらに4ヶ月滞在しました。アイルランドは日本人の留学生が少ないので、英語を学ぶ環境としてはとてもいいのですが、到着したばかりの頃は、やはり英語がままならず、周りとうまくコミュニケーションが取れないことが悩みでした。そんなある日、私がホームステイしている家の近所で同様にホームステイしている日本人の友達から「近所のパブでみんなで飲むことになったから来なよ」と誘われました。行ってみると、クラスが違う韓国人やヨーロッパ人の同じ学校の生徒が集まっていて、みんな私よりも英語がうまく、お酒の力もあって、楽しく過ごすことができました。それ以来、毎晩のようにパブで集まり、みんなで飲むことが日課になりました。当時、ユーロ高だったため、金銭的な負担は大きかったですが、あの場で英語が上達したのは間違いないと思っています。やはり、英語を話せるようになりたいのなら、自分から積極的に英語を使っていかないと上達しないと、身をもって学んだ出来事でした。

留学した国はアメリカ合衆国です。

留学した目的は、大学で経済学を習得することでした。 住んだ場所は、サンタモニカという海辺に近い町です。苦労したことは、大学の単位を取得することです。特に、専攻した分野の英語は特殊で、言語の理解をすることが大変苦労しました。感動したことは、初めてグランドキャニオンに行った時の雄大な景色です。日本にいて、あれほどまでの景色をみたことがなかったため、その寛大で途方もない景色がもっとも感動したことです。

短大卒業後、カナダへ英語の勉強を目的に留学しました。

はじめはニューブランズウィック州の大学寮に入り1か月寮生活をしました。母国語絶対禁止の寮生活だったため、日本人同士でも英語で話すという不思議さ。言いたいことが言えないストレス。伝えたいことが伝わらないストレス。最初は友達がなかなかできない寂しさからのストレス。また相部屋のケベック出身のフレンチカナディアンがボーイフレンドを部屋に連れ込むため、これが異文化なのか?と異文化ストレス。それに合わせボリューム満点の寮の食事のおかげで1か月で5キロ近く太ったのを覚えています。その後カナダに移住している香港人の友達に誘われモントリオールに移り住みました。モントリオールでは賃貸マンションに住みました。そこではたくさん友達もでき、みんなでカナダの本場のスキーをしに行ったり、ロレンシャン高原の紅葉を大パノラマで見たり、ニューヨークまでカウントダウンに行ったりと旅行がとても楽しかったのを覚えています。 英語が全くしゃべれないのにとりあえず現地に行ってしまうと大変苦労されると思います。私は英語を勉強しに行きましたが、英語で何かを学びに行ったほうが格段英語力は上がると思います。"

アメリカへ語学勉強のために留学し、

サンフランシスコの語学学校に通いました。最初は不安と期待で胸がいっぱいでしたが、 いざアメリカに着いてみると本当にアメリカ人ばかりで 日本語がとても恋しくなりました。語学学校では日本人もいたので、それはすごく助かりました。 留学生活で苦労したのは、食生活です。毎日、同じようなものを食べ続けていたので飽きることもありました。 日本食が恋しいと思ったのは初めてです。 あとは掃除洗濯なども自分でしないといけないこと。 ホームステイの家族は日本人を何度も受け入れているようで、 手馴れている様子でしたので、大変だけと楽しく暮らすことが出来ました。 留学に行くことで新たなものを見たり体験することができるし視野も広がります。 生涯にわたって貴重な経験ができたことが、自分の財産だと思っています。

アメリカのオクラホマ州に留学していました。

留学した目的は、英語の習得ですが、のちに、大学に編入しました。始めの6か月間は私立の英語学校で英語の勉強をしました。私立大学内にあった学校だったので、ほとんどの生徒が大学への進学を目指していました。6ヶ月で帰る予定でしたが、運よく、州立大学に編入することができました。苦労したことは、全般的にリスニングです。授業でプレゼンテーションはできるのですが、生徒さんから質問される内容を聞き違いしてしまい、見当違いの回答をしたことが多々ありました。語学学校ではないので、みなさんゆっくりは話してくれません。英語のスピードとオクラホマのなまりになれるのに数年かかりました。エッセイの数がすごく多くて、毎日図書館に行ってひたすら勉強してエッセイを書いていました。日本の大学生が大学生活を楽しんでいるのをうらやましく思うくらい、大学生活は図書館とアパートの往復でした。その苦労が、今はすごく役に立っています。

中国に留学していました。

留学した目的は語学を学ぶことです。場所は遼寧省の留学生専用の学生寮です。 苦労したのはやはり、中国語を基礎だけ学んだほぼ何も理解していない状態で行ったので、中国人が何を言っているのか最初のうちはさっぱりわからなかったことです。 また留学しようと誘ってきた少し中国語を話せる友人が、たったの3日でホームシックにかかり、あっさりと帰国してしまったので、予定外に一人になってしまい大変苦労しました。 感動したのは現地の人たちと仲良くなり普通に会話できるようになったことですね。友人に見捨てられた状態になってしまったので、他国の人と言葉もわからない状態から段々話せるようになりそして仲良しになれたのがビックリして、そして嬉しかったです。

短期でニュージーランド北島に

英語技能の上達と文化理解のために留学した。 食文化が日本とは大きく異なり、苦労した。ホームステイをしていたのだが、日本のようにおかずとごはんという組み合わせで夕食を食べたことがある。ニュージーランドのお米はタイ米で、日本のジャポニカ米のようにもちもちしているわけでもなければ甘いわけでもない。ぱさぱさしていて味気ない。その時のおかずはおいしかったのだが、ご飯があまりおいしくなくて食べるのに苦労した。同時に出されたビールのようなジュースもおいしくなかった。

アメリカ・ニューヨークに留学していました。

留学した目的は、日本で所属していた大学の単位を取るためでした。夏休みを使って学校の留学コースを申し込むと一定の単位がとれる為、卒業単位が足りそうになかった私に取っては救いのコースでした。 大学はマンハッタン内にありましたが、住んでいたのはニュージャージーです。隣の州なのですが、橋を渡るだけで通えるので30分程度で通うことができました。また、ホームステイ先の人もマンハッタンに勤務していたため、毎日車で送ってもらえました。 苦労したことは、言葉です。英語があまり得意ではなかったので、生活には問題ありませんでしたが、授業自体はちんぷんかんぷんで、友人のノートを写させてもらってました。 ニューヨークは人種のるつぼと言われるように、本当に多くの人種の方に出会うことができ充実した時間を過ごせました。

アメリカ、ワシントン州シアトルに1年間語学留学しました。

大学に通い、住まいは学校までバスで20分ほどの住宅街にあるお宅へホームステイでした。 バスだと行動範囲が限られるので、免許を取得し、友人数人と共同で中古車を買い(3000ドルほどのボロボロなバン)それで通学したり、無謀ですが西海岸をロサンゼルスまで旅行したりしました。 日本と違い整備不良な車だらけのアメリカでは、とにかく車の機嫌に悩まされ、苦労しました。エンジンがかからないのは日常茶飯事で、修理したその日にまた故障したりはあたりまえでした。 でも今となってはいい思い出ですし、拙い英語力でその状況を何とか突破するたくましさも身に付きました。

オーストラリア、キャンベラに

英語習得の目的で留学しました。 初めての留学が、初めての海外でもあったので、戸惑うことや感動することも多かったです。 キャンベラのハイスクールに通う生徒さんの家にホームステイしたのですが、まず戸惑ったのは英語の発音が微妙に違ったことです。 私はそれまでイギリス英語の発音で習ってきていたので、オーストラリア独特の発音に馴染むまで時間がかかりました。 二日目にしてホームシックにもかかりました。 ホームシックはかなり辛かったです。 何か分からないけれども、不安で、寂しくて仕方がありませんでした。 会話をするのも大変で、いつもならすんなり出てくる言葉もいざ話そうと思うと語順が日本語のようになってしまったり、なかなか単語が出てこなかったりと、はじめの頃は毎日緊張の連続でした。 ただ、1週間ほどが過ぎると自分の頭の中の言葉が徐々に日本語から英語に変わっていきました。 それからは、多少たどたどしくてもすんなりと英語が出てくるようになりました。 初めての経験だったので、自身のこの変化にはかなり感動しました。 こうやって外国語は習得していくものなのだと、身を持って実感した瞬間でした。

新卒で入った会社で

5年間OLを経て念願だった留学する夢を叶えました。カリフォルニア州にあるコミュニティカレッジへ入学しました。2年制ではありましたが、結局卒業までは2年半かかりました。学費は自分で用意しましたが、予想よりもはるかに多く掛かったのは事実です。ビジネスの勉強がしたかったのでビジネスアドミニストレーション専攻のコースではESLを含め会計学やマーケティングの基礎を学びました。この2年半はずっと同じホームステイ先にお世話になりました。

カナダに半年間語学留学に行きました。

語学学校では韓国人とブラジル人がとても多かったです。ブラジル人と一緒に英語を学ぶことはとても刺激になりました。彼らは間違いを気にしないし、とにかく口から泡を飛ばしながらしゃべりまくります。韓国人はどちらかというと日本人と似ていておとなしいので、ブラジル人の姿勢には本当にカルチャーショックを受けました。カナダは夜の治安も悪くないし、いろいろな人種が集まっているので、活気があってとても楽しい滞在ができました。

アメリカのドラマや映画、

スターに憧れて住んでみたいと思ったのがきっかけでした。それで、ロサンゼルスのビジネスカレッジに留学をしました。Universityで求められるほどの英語力は、ここでは必要なかったとはいえ、未熟者の私にとっては授業がチンプンカンプン。特に早口な先生の英語は、私の頭上を音楽がただただ通り過ぎていく感じでした。こんなことでは単位を落しかねない。そこで、勇気を出して地元のクラスメートに話しかけたんです。「私の英語力では、先生の話したことが全くわからなかった。書き終わったノートを見せてほしいんです」というようなことを。黒人の彼女は、笑顔で即見せてくれました。そして、その時のノートの内容が、後の試験にそのまま出題されました。彼女のお蔭で、無事単位を取ることができました。自分だけの力で難しいと思ったら、助けてくれる友達を恥ずかしがらずに見つけることも大事ですね。

留学した国は

アメリカのタルサというところでした。 目的は、高校の姉妹校のため、交換留学というかたちで留学しました。 ホームステイという形で一年間過ごしました。 当時聞いていた アメリカ人は食事を家族で取るなどの情報は役に立たず、 全員バラバラで、食べたいものも最初はなく、 痩せてしまいましたが、 家族が日本食のお店に連れて行ってくれて、なんとか解消できた感じです。 言葉は完璧ではありませんでしたが、 なんとか通じました。 意外とホームシックにもかかりませんでした。